亡くなったばあちゃんへの私の向き合い方
私の祖母が桜が咲く前に亡くなった。
もうすでに99年も生きていて、その前の秋ごろからご飯を食べなくなったと聞いて覚悟はしていた。
だけどやっぱり訃報を聞いたときはショックだった。
おばあちゃんを思い出すとよみがえってくることは、お料理の匂い。
住んでいる福岡から特急つばめに乗って鹿児島へ向かう。コンパートメントを使うこともあれば指定席をボックスにして母と妹と弟とでかける。
つばめ特性の駅弁や列車の中で販売されているアイスクリーム。母は必ずコーヒーを頼んでいた気がする。
鹿児島に近づくと見える海。長いトンネル。電車の音がそれまで籠って聞こえるのに、急に車内が明るくなる。そして見える大海原。聞こえるわけのない潮騒の音が私には感じられる。料理の匂いから列車の思い出になってしまったが、この小さな旅は小さいころの私にとっては大冒険で、些細なことだけどワクワクと胸が高鳴る記憶としてばあちゃんの記憶と共によみがえってくるのだ。4時間以上の電車の旅が終わり30分ほどかけてバスに揺られる。長旅の疲労した身体をひきずって坂道を上ると、おじいちゃんとおばあちゃんが待つ小さな家が見えてくる。そのうれしさときたら。それと同時に少し空いている台所の窓からおばあちゃんが炊く煮物のしょうゆの匂いが漂ってくるのだ。もちろん玄関のドアを開ければ、その匂いは家中に充満している。笑顔で迎えてくれる祖父と祖母の顔。それが本当にうれしくて、暖かく迎え入れてくれるその喜びがおばあちゃんの煮物の匂いと共に小さな旅の思い出も連れてくるのだと思う。
しかし、嫌いな部分もあった。一緒に出掛ける時、観光地やデパートには必ず子どもが試しに触れるオモチャが置いてある。当然小さな私は興味津々で触りまくる。夢中になって触りまくる。それを見ているおばあちゃんは、私がおもちゃを壊すんじゃないかと心配して、ああだこうだと止めに来るのだ。その時の私からするとそれが煩わしくて仕方がなかった。でも親になった今おばあちゃんが心配する気持ちがすごくわかる。子どもの触り方は雑だし荒いし。大事に使う術がまだ足りないから、大人からするとヒヤヒヤしてしまう。その気持ちがおばあちゃんの言葉として表れていたんだと思う。
実はおばあちゃんの訃報を聞いた時。私のお中には3人目の子どもが宿っていた。お葬式に行きたい気持ちはあったが、母に来なくていいと言われたこともあって悩み産婦人科の先生に相談するのが一番だと病院に電話した。
「ことがことだから行くなとは言わない。ただ臨月に入っていつ生まれてくるかわからない。だから医者としては行かないほうがいいと言います」
もちろん旦那にも相談した。
「行ったほうがいいし行きたいけど、きょうこの体を優先したほうがいいと思う」
みんな私のことを心配していた。そりゃ当然だ。今住んでいる神戸から鹿児島まで行くと半日はかかる。しかも臨月は飛行機に乗れないため(厳密には医師の診断書が必要だが当然出せないと言われた)新幹線しか乗れない。4時間以上かけて新幹線に乗っていくなんて無謀だと普通に思う。だから私は行かないことを選択した。
その代わり電報を出した。
祖母とのことを思い出しながら文章を書いているとやっぱり涙があふれてきた。
高校の時、私はおばあちゃんとおばあちゃんが作るお料理を友達に自慢したくて鹿児島への旅行に誘ったことがある。友達は喜んでくれたし「恭子のおばあちゃんおもしろいね」と褒めてくれた。その言葉が本当にうれしくて自慢げな心で胸がいっぱいだった。
長女を出産したときのことも思い出した。
正月2日目。叔母の家でお祝いをして夜に自宅へ帰ると、当時飼っていたダックスフントのナナが家中のごみを散らかしていた。私は腹を立てながら散らかったゴミを片付けていたのだが、その時に破水した。慌てて病院へ電話しその日のうちに入院することになった。その時母はコンビニのパートに出かけていなかったため、おばあちゃんに破水したから病院へ行くことを告げた。
その当時ばあちゃんは89歳。杖を突いて足を引きずらないと歩けないのに、おばあちゃんは、「私がついていこうか?」と言ってくれた。正直私は目を見開いて驚いた。自分の身体はヨボヨボなのに孫の私を思いやってくれる。なんて力強いんだろう。初めてのお産で不安だったのにその言葉は私の心を勇気づけてくれた。
「大丈夫だよ。おばあちゃん、明日生まれたらおばあちゃんと同じ誕生日だね。頑張って産んでくるね」
その予言は大当たり。おばあちゃんが誕生日の日に長女が生まれた。その差90歳。何人目かわからないばあちゃんのひ孫が誕生した。
コブクロの『バトン』という曲をご存じだろうか?命をバトンに例えた歌詞。
いつかは君も誰かに手渡す時が来る
まだ何も見えない 小さなてのひらに
振り向かなくていいように ゆっくりと渡すよ
まっすぐに力一杯 走りだせるように
おばあちゃんの死を思うときこの曲が一番に流れてきた。
命のバトン。同じ日に生まれた長女と祖母。お腹の中に宿った命は、祖母が死んだ後に生まれる。親戚は口々に「きょうこのお腹の中の赤ちゃんはばあちゃんの生まれ変わりだね」と言う。そう。命は繋がっている。私が知らないご先祖からずっと。そしてこれから先は私が生んだ子どもたちが命を繋げるかもしれない。ばあちゃんの死はすごく悲しいけれど、私の体の中には確実にばあちゃんのDNAが組み込まれている。もちろん私の子どもたちの中にも。それは僅かかもしれないが。その奇跡に私は深い感動を覚えるのだ。悲しいはずのばあちゃんとの別れが、なぜか感動を与えてくれる。
私は葬式に行ってばあちゃんを弔えなかったけれど、ばあちゃんとも思い出はいつまでも私の記憶の中に刻まれていていつでも思い出すことができる。お盆とか命日とか関係なく、私はいつでも心の中で思い続けよう。それが私の弔いの形だから。
あとがき
今これをよんでいるあなたは、誰か大切な人を亡くしたのだろうか。誰かを亡くす痛みは想像以上に痛い。いつか死ぬ時が来ると分かっていても痛い。できればその痛みを二度と味わいたくないと思う。だけど生きている限り必ず訪れる別れ。そしてもちろん私自身にもあなた自身にも訪れる。
生きるは一生。死は一瞬。
亡くなってしまえば2度と会うことができない。言葉もかけれない。ハグすることもできない。
あなたの命も大切な人の命も亡くなるときは一瞬だから。だから”いま”を大切にしてほしいと思う。
したい、やってあげたいと思うことは、いなくなってしまったらできない。
別れの時少しでも後悔が少ないように。胸を張って見送れるように。今できることをやってほしい。