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2人の子どもを産んだ私は難産だった~吸引分娩体験記①~

 
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結婚して7年。長女と長男を授かり4人家族。福岡私立福岡女学院大学人間関係学部子ども発達学科を卒業。現在、発達障害や知的障害を抱えるお子さんの療育に現役保育士として携わっている。応用行動療法、TEEACH、PECS、感覚統合など様々な観点から、科学的根拠に基づき子どもを観て、子どもが自分で育とうとする力を育てる保育を目指している。

妊娠が37週にはいると赤ちゃんがいつ産まれてきても大丈夫な時期に入ります。

「いつ産まれてくるのかな?」

「陣痛は痛いのかな?長いのは嫌だな」

「陣痛から始まるのかな?破水から始まるのかな?」

予定日が近づけば近づくほど、赤ちゃんに会える楽しみと出産に対する不安でソワソワ落ち着かなくなりますよね。

 

今回の記事は
  • 出産前に体験した処置
  • 出産中に体験したバルーン、陣痛促進剤、羊水減少
  • 吸引分娩で赤ちゃんを産んだこと
  • 出産後の私の気持ち

について娘の出産の体験談をもとにご紹介していきます。

 

正直に言うと、この記事を読んでも出産に対する不安は消えないと思います(笑)

とくに1人目の出産は当時の私にとって「失敗したな」という気持ちが強かったので、全体的に暗めです。

でも2人目の時は心境が変化しているので、その変化もあわせて読んでもらえたらと思います。

この記事を読むと出産に対して不安を感じちゃうかもしれませんが、私の体験談から出産への勇気を持ってもらえたらと思います。

ラミナリアを挿入し子宮口を開かせる

私は関西に住んでいますが出産は九州に里帰りして行いました。母は祖母の介護で祖母の自宅にいたので3か月間お世話になりました。

 

さて、出産1か月前から話を始めます。

予定日が近づいてくると赤ちゃんが外に出るための子宮口が少しずつ開いていきます。

しかし私は子宮口が硬いということでラミナリアというものをを挿入して子宮口を開かせる処置を受けました。

画像:日本ラミナリア

ラミナリア海藻でできていて水分を吸うと2~3倍に膨れる仕組みになっています。

挿入はそんなに痛くなかったですが、子宮口に刺さっている感覚は痛かったです。

5年前の記憶なので定かではないですが、2時間くらい挿入したまま病院のベットで横になってすごしました。

暇つぶしにと携帯を持って行きましたが、ラミナリアの痛みが気になって携帯に集中できませんでした。

出産は破水から始まった

出産前夜、叔母の家でいとこ家族も集まり食事をしました。

おばあちゃんの家に帰る前に、いとこの子どもに、「おなかの赤ちゃんに早く生まれてきてーって言ってくれる?」と頼むと本当にしてくれた子どもたち。

そのおかげか、叔母の家からおばあちゃんの家に帰ってすぐ破水しましした。その時間は確か21時だったと思います。

 

おしっこが漏れたのとはちがう、ジュワッとした感覚を感じました。

初めは「まさかな?」と思い、夜用のナプキンを当て横になって様子を見ていました。

1時間たってもジュワッとした感覚が度々おきるので、産婦人科に電話すると「すぐ来院してください」という指示が。

母は仕事でいなかったので、おばあちゃんに「破水したから病院に行ってくるね!」と伝えました。

次の日が90歳の誕生日のおばあちゃん。杖をつかないと歩きづらいほどヨボヨボなのに、「一緒についていこうか??」と言ってくれました。

子どもを4人も産んだおばあちゃんの心強い言葉を胸に、いざ産婦人科へと向かいました。

 

病院につくとすぐ診察され破水していることがわかりました。

破水をしてしまうと、週数関係なく入院です。

その時の妊娠数は39週1日でした。

 

安静にするためベットに入りました。

その時の時間は夜の10時ごろでした。

天井を見ながら「いよいよ始まるんだな」何ととも言えぬ気持ちを抱いていました。

いよいよ陣痛がはじまる

深夜1時前から10分おきの陣痛が始まり、安静にしていた部屋から陣痛室へ移動しました。

初めて体験する陣痛の痛み。

力を入れてはいけないと出の本で学んでいた私は、ベットの柵を握りしめ、ガタガタ揺らし痛みに耐えていました。

 

朝方4時ごろ。子宮口はまだまだ開かず、すでに始まっている陣痛がもっと痛くなるのかと思うと不安でどうしようもなくなってしまいました。

そして巡回に来た助産師さんに、「私が産まなきゃだめですか?」と弱音を吐いてしまったのです。

するとその助産師さんから、「あなたが産まないで誰が産むの?」と叱咤されました。

「一人で乗り切るのが怖かったらお母さんに来てもらうように頼んでみてごらん」と提案されたので、朝方4時に母に電話し来てもらうことになりました。

助産師さんの叱咤と、母が来てくれた安心感で少し落ち着きを取り戻しました。

しかし陣痛の痛みは徐々に強くなっていきます。

陣痛は強くなってきているのに子宮口が開かない

朝になり医師による巡回が始まりました。

触診をしてもらうと先生から、「陣痛が来ている割に子宮口が開かないからバルーンを入れるね」と説明され、子宮口にバルーンを入れる処置が始まりました。

バルーンとは

正式名称はメトロイリンテルです。

子宮頸管が開いている場合は、メトロイリンテルというゴムの水風船のような器具を使用します(当センターでは「ミニメトロ 40㏄」を使用)。これは子宮腔内に挿入し、生理食塩水を注入してふくらませるものです。子宮容積を増大させ、子宮の収縮を誘発することにより、子宮頸管の拡大を目的としています。

引用:「分娩誘発について」

つまり水風船のようなものを子宮口に入れ広げることで子宮収縮を促します。

バルーンの処置の痛みは陣痛の痛みのほうが数倍痛かったのであまり感じませんでした。

むしろ陣痛の痛みが和らいだくらいです(笑)

子宮口が開いたら今度は羊水が減った

バルーン処置のおかげで子宮口が開いたのはよかったものの、破水から始まったこともあり羊水の量が減ってしまっていました。

 

羊水が減るとどうなるの?

起こる時期にかかわらず、前期破水により以下のようなリスクが上昇します。

  • 子宮の感染及び胎児の感染
  • 胎児の姿勢異常
  • 胎盤が早い時期に子宮からはがれてしまう

引用:MSD マニュアル 家庭版 「前期破水」

 

羊水が減ると胎児によくないということで、生理食塩水を注入しました。

 

子宮口10cm拡大まであと少しというところで陣痛が弱まる

子宮口もあと少しで10cmというところまで来た頃、私の中では陣痛の痛みが強烈になってきました。

陣痛のたびに母の手を強く握りしめていたのですが、母の細い手を強く握りしめていたため、骨折させたらどうしようと不安になるほどでした。

はじめて経験する強烈な痛み。

(あともう少しで生まれる・・)となんとか自分を奮い立たせていた矢先、お医者さんから「陣痛が弱まってきてるんだよ」という話が。

「このままだとお産が進まなくなっちゃうから、陣痛促進剤を使って陣痛を促していくからね」と言われ陣痛促進剤を投与されました。

陣痛促進剤を投与した後、ものっすごい痛みが(泣)

それまでの陣痛も「もう無理」と思っていたのに、まだ上をいく痛みが襲ってきました。

いよいよ陣痛室へ!しかし赤ちゃんの心拍が低下

でもそのお陰で子宮口も10cmに拡大し、やっと分娩室へ移動することができました。

時計は午前11時40分を指していたと思います。

いきみの許可もやっとでて、「あともう少しでこの辛さが終わるんだ!!」と思い、先生の指示に従っていきみに意識を集中させました。

でもなかなかでてこない赤ちゃん。

3回目のいきみの後先生が、「んー、なかなか出てこないな。ちょっと○○先生呼んできて」と看護師さんに指示を出し始めました。

しばらくしてもう1人の先生が分娩室に入ってきました。

そして吸引分娩に移行したのです。たぶん吸引分娩をするという説明は受けたと思うのですが、正直記憶にありません。

記憶にあるのは、吸引カップを挿入されたこと、いきみと同時に途中から入ってきた先生が私のお腹をおもいっきり押したことです。

「いきみたいときにいきんでねー」と言われたので、本能のままいきみを感じたらいきむ、を繰り返しました。

そして私のいきむタイミングで一人の先生は吸引のための装置を使って赤ちゃんを引っ張り、もう1人の先生は私のお腹を押します。

それでも出てこない赤ちゃん。看護師さんが、「赤ちゃんの心拍が落ちてます」と言いました。

(えっ?それやばいんじゃないの?)とぼんやりとした頭で考えていたら、先生も「んーー次で出てこなかったら帝王切開かな」という声が。

帝王切開の空気が流れつつある中、それでもいきみたい気持ちはやってきます。

私も早く赤ちゃんを出してあげたい、という一心でクタクタの体を振り絞り精いっぱいいきみます。

先生たちも私のいきみに合わせて、吸引で引っ張り、お腹を押しました。

すると、先生の「頭が見えてきたよ」という声が。

そして次のいきみでやっと赤ちゃんが生まれたのです。

吸引分娩を得て無事生まれた娘

途中心拍が弱くなっていた赤ちゃんの産声はとてもか細い声でした。

出産直前にずっとつきそっていた母が分娩室に入ってきていたのですが、「赤ちゃんがすぐに泣かんかったからすごく心配したよ」と言っていました。

それでもなんとか泣くことができたので、分娩室には安堵の空気が流れていました。

妊娠中、パーソナルプランでカンガルーケアを希望していましたが、赤ちゃんの状態からそれはかないませんでした。

その代わり、助産師さんが私が見える位置まで赤ちゃんを見せに来てくれたのですが、その時の感想は「かわいくないな」でした(笑)

ドラマのシーンではお母さんが「あぁーうれしー、かわいー」とか言いながら感動の体面を離すことが多いですが、私は心身ともに疲弊しきっていたので感動の対面を果たすことができなかったのです。

会陰切開の縫合

吸引分娩をする時は器具を挿入するので必ず会陰切開をします。

そのため私は切開したところの縫合を受けました。

本来なら会陰の部分だけなのでしょうが、私の場合吸引したことが原因で膣の中まで切れていたので中も縫合しました。

麻酔を打ってもらっていたのですが、チクチクとした痛みは治まらず、助産師さんに「力抜いてねー」と言われてもそんなことできませんでした。

そして縫合したところが、産後の授乳で響くんですよ。

授乳で座るたびに縫合しているところが突っ張るような痛みを感じていたので、授乳が辛くてたまりませんでした。

あまりの痛みに入院中、縫合部分を抜糸してもらったのですが抜糸も痛くて途中でやめてしまいました。

入院中マタニティブルーのような状態だった

出産が思っていた以上に痛く大変で、病院に響き渡るほどの叫び声をあげてしまった私。

出産後、冷静になってその姿を想像するとものすごく恥ずかしくなってしまいました。

吸引分娩になったこと、赤ちゃんの心拍が落ちたことは、私の出産が悪かったからではないかと責めてしまったんです。

しかも入院二日目くらいから嘔吐してしまい、そのせいもあって精神的にすごくつらかったんです。

さらに授乳もそれまでは赤ちゃんが勝手に加えて吸ってくれると思っていたのに、全然上手に加えられず、おっぱいもガチガチに張って眠れないほどでした。

(こんな状態で帰ってからちゃんと育児できるのかな)と不安を抱えた入院生活でした。

今思えば吸引分娩になったことは私の出産が悪かったのではなく、小柄な体型が原因だったと思います。

嘔吐したことも、授乳に苦戦したことも、何もかも初めてのことなんだからうまくいかなくて当たり前、と思えます。

でも当時は「出産はうまくいかなかった。授乳もうまくいかなかった」という気持ちが強かったんだと思います。



まとめ

  • 初産ということもあり出産予定日が近づいても子宮口が開かなかったので、ラミナリアを挿入する処置を受けました。
  • 出産中も子宮口の開きが悪くバルーンを挿入しました。
  • 子宮口が10cmまであとわずか、というところで陣痛が弱まり陣痛促進剤を使いました。
  • 10cmに開いても赤ちゃんが前に進めず吸引分娩で出産しました。
  • 出産後自分の出産を振り返り「赤ちゃんの心拍が落ちたのは私のせいだ」と責め、悲しい気持ちになりました。

1人目の出産体験で不安を強くさせてしまったかもしれません。

でもこの経験を得て2人目の出産の心境は変わりました。

次回は2人目の出産体験について書きますので、そちらを読んで、出産に向けて心の準備をしてみてください。

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結婚して7年。長女と長男を授かり4人家族。福岡私立福岡女学院大学人間関係学部子ども発達学科を卒業。現在、発達障害や知的障害を抱えるお子さんの療育に現役保育士として携わっている。応用行動療法、TEEACH、PECS、感覚統合など様々な観点から、科学的根拠に基づき子どもを観て、子どもが自分で育とうとする力を育てる保育を目指している。

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